古墳・遺跡・遺物
長崎街道中原宿
旧長崎街道は町の中央を東西に横断し、江戸時代の参勤交代や数多くの旅人の長崎への旅路として利用され、街道沿いには6件の旅籠がありました。なかでも岡崎屋は現在でも名残を残し、2階の手すりに「中原驛岡崎屋御定宿」の文字が見られます。
姫方遺跡
弥生時代から古墳時代にかけての複合遺跡として重要な遺跡で、三種の遺構は県内でも類例のない特色のあるもので、佐賀県史跡に指定され保存されています。
高柳大塚古墳歴史公園
6世紀後半から末頃と推定されるこの古墳は前方後円墳で、佐賀県の史跡指定を受けています。奥壁・側壁に1枚の巨石を用いた、横穴式石室を持つめずらしい特徴を持っています。
成富兵庫茂安公記念碑
筑後川の流れと、一望に広がる美しい佐賀平野を眺めるように旧北茂安町と旧三根町の境に建立されています。茂安公は永禄3年(1560年)佐賀郡益田(現在の佐賀市鍋島町増田)に生まれ、龍造寺に仕え、のちに鍋島家の家臣となりました。 武将として数えきれない功績をたてているとともに、土木・治水・築城にも功績が大きく、筑後川の洪水から佐賀平野を護るため、茂安公が旧北茂安町の千栗から旧三根町の坂口まで約3里(約12Km)にわたり堤防を築造しました。
中津隈前方後円墳(宝満神社境内)
5世紀中頃から後半にに築かれたものと推察され、この地方の蒙族の墳墓と考えられています。拝殿の東南方に露出している、横穴式古墳も貴重な存在となっています。
東尾大塚古墳
この墳は、径24~25m、高さ4~5mの円墳で、この地方の古代豪族の奥津城といわれています。弥生時代の遺跡墓地に後年古墳を築いたものと考えられ出土品の須恵器や馬具・埴輪から5世紀中頃から後半のものと推定されています。
白石神社磁製灯ろう
三月堂形の磁製灯ろうは、高さ225cm、幅60cmの巨大なもので、明治18年、五十崎芳太郎氏の作品です。宝珠、宝珠台、笠、火袋中台、台座、基礎台からなっており、 龍の象がんなど美術的に焼成された逸品です。町重要文化財に指定されています。
検見谷銅矛
昭和60年検見谷遺跡から12本出土しました。弥生時代中末期から後期初め(約1900年前)の中広形銅矛(長さ83cm)で、10本には表裏全面に綾杉文と呼ばれる特殊な研ぎ分けがあります。保存状態が極めてよく、欠損部分のない完成品です。当時の武器祭祀の在り方や使われ方,青銅器の製造技術などを知る上で貴重な資料です。
連弧文昭明鏡
平成2年六ノ幡遺跡から出土しました。弥生時代後期初頭(紀元前1世紀)甕棺から出土した中国の前漢(DC1世紀)時代の鏡で、縁が狭く銘文が楔形書体のものは国内で6例目の出土です。大陸との関連等を知る上で非常に貴重な資料です。
明徳銘地蔵尊
千栗大師堂内にあります。像に向かって左側に「明徳2年2月日」という造立銘が線彫されており1391年に造られたものと推測されています。像の造立趣旨や造立者などは不明ですが、県内に現存する石彫地蔵尊の最古のものとして注目され、室町時代における地蔵信仰の初期的遺品として高く評価されています。
西尾の六地蔵尊
西尾の「子守地蔵さん」として知られており、この地蔵さんに願いをかけてお詣りすると、子どもの夜泣き、疳の虫、寝小便等がたちどころに治ると言われています。
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